百年待っていてください

漱石没後100年。アンドロイドで蘇りました。姿は写真があるけど、声は孫の夏目房之助さんが担当だそうです。なるほど、いいとこに目をつけますね。指紋と同じように「声紋」というのも、人を表すそうですから。
私がすごい、と思ったのは、100年目に姿を表したこと。漱石の小説に「100年待っていてください」というセリフがあるのです。「夢十夜」のなかの一話。一人の女性が死ぬ間際に「100年待っていてください」と言い残します。
で、男性は「待つとも」といいます。そしてある日、白い百合の花が咲いて「もう100年たったのだ」と、男性が思う。それだけの話です。でも、短いだけに美しく、清らかな物語で、私の大好きなお話です。100年という時の重み。
そして、予言したかのように100年目にアンドロイドになりました。すごいです。自分の死後の100年を、まるで見通していたかのようです。漱石は「日本人にとって個人主義とはなにか」を、常に考えていた小説家です。
そういう目で見ると「坊ちゃん」から「心」まで、主人公は自分の生きたいように生きる、ために苦労します。100年たって、本当の意味の個人主義が日本に生まれているのか、と漱石に問われたら、下を向くしかない気がします。
あと100年、待ってください。遅すぎー、とか、怒られますかね。出典

心旅で飛鳥

NHKBSで、日野正平さんのチャリンコ旅「心たび」秋編が始まりました。正平ちゃん、すごいねー、ライフワークだね。今回は奈良。飛鳥、と言うことで楽しみにみました。BS1では、日ハムが優勝かけて大谷君が投げてます。困るわー。
飛鳥には、もう30年くらい前、ほんとに若かりしときに行ったことがあります。岡寺、飛鳥寺、石舞台、いろいろみて回りました。高松塚古墳なんて、まだそんなにすごい遺跡だと思われてないころで、近くまで入ってみました。だれもいませんでした。坂船石も、なんだかわからなくて。
甘樫丘に上って三輪山や畝傍山を見て、万葉の時代に浸りました。ほんとに懐かしい。で、今回の目的地は岡本寺、ですって。岡寺へ行く途中の小さな寺。正平さんがチャリオと行きます。でも、昔はこんなに舗装されてなかった。
私が行った頃は、なんだか野っぱらのあぜ道だった気がします。飛鳥も現代的になったのかしら。岡本寺は、ほんとに小さな寺でした。「天智天皇、岡本宮跡」という看板が映りました。飛鳥、ていうと聖徳太子、と思うけれど、このあたり複雑なんですね。日本史でも、宮がくるくる変わって苦労するわ。
天智のあと、近江大津宮になって、それから天武天皇になって飛鳥浄御原に遷都して。奥さんの持統天皇が後を継いで。そしたら翌日の新聞に藤原宮跡の発見が。そうそう、それからまた橿原に遷都よ。ああ、ややこしい。悪夢の日本史テストを思い出しました。

冗談じゃあない

ビートたけしのコメントに「冗談じゃあないよ」というのがあります。これ、普段でも口にしますよね。でも、ほんとに大変なことがあったら、笑いごとではすみません。冗談だから、冗談じゃないと言えるのです。
母がよく軽口で「私が死んだら」とか「もう死にたい」とか、よく言ってました。結構冗談が好きな人なので、私も「お好きに」と返してました。90才にしてはとても元気で、今でも、人の手はいりません。
ところが、最近、そういうことを、トンと言わなくなりました。「死ぬ」ということを、身近に感じるようになったからでしょうか。でも、無神経な私は、傷つけることを、つい言っちゃうのです。軽いノリで。
すると、これまではカウンターを返してくれた母が、黙りこくるのです。あるいは急激に不機嫌になります。夕食もまだなのに「寝る」と、いいます。私は冗談なのに、です。
母は、これまで経験のない、まるで知らない世界の入り口に立っている気分なのでしょう。そんな人にこれまでと同じように接している自分のおろかさに、泣けてきます。もう、ほんとに冗談じゃないのね。
人は、生・老・死のステージを、必ず上っていかなくてはなりません。ステージごとにいろんな準備を人はするけれど、「死」への準備なんて、私には分かりようもありません。
最後まで母らしくいて欲しい、というのも、私の勝手な願いに過ぎません。母が納得して人生の終わりを迎える、その手伝いをするのには、私は器が小さすぎます。
悔いなく、と思っていました。でも、悔いが無いなんてこと、あり得ないでしょうね。人として、まだまだの私です。しっかりしろよ、人生、冗談じゃあないよ。生理前のひどい腰痛を改善したいなら。